
SF小説の魅力(1001)
- 1 ボールペン(dion軍) 2010/03/18(木) 00:12:41.38 ID:FSLAEsKJ BE:2428663076-PLT(12000) ポイント特典
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「愛の死」後に探る人間性
二〇〇九年に亡くなったSF作家J・G・バラードは『クラッシュ』の序文で
「我らの夢や欲望を支える……精神の病は、今世紀最悪の死者として結実した。愛情の死である」と書いた。
バラードはメディアとテクノロジーに取りかこまれた現代人の生を
「テクノロジカル・ランドスケープ」と呼ぶ。現代人にとってはメディアとテクノロジーの中こそが
「ありのままの自然」だ。我々はメディアに毒された存在であり、その性と愛はテクノロジーに歪(ゆが)められている。
ぼくにとって、バラードは作家というよりも思想家だった。我々の人間性の意味を教えてくれたからである。
人間性は変わった。我々にとってのヒューマニズムは十九世紀に生きている人のものとは異なっている。
それをポストヒューマニズムの思想と呼ぼう。これはバラード的思想、ポストヒューマニズムを考える本棚である。
戦後メディア社会に最初に目を向けたマクルーハンやギー・ドゥボールはその先駆者である。
マクルーハンは肯定的に、ドゥボールは否定的に。だが結論は同じだ。
我々の感情はメディアに規定され、先取りされた感情的反応を追いかけているに過ぎない。
ポストヒューマニズムの世界に愛の入り込む余地はない。
あるのはただ刹那(せつな)的な快楽と感動だけである(メディアが与えてくれるのはそれだけだ)。
人々は刺激を求め、快楽をエスカレートさせてゆく。
『デス・パフォーマンス』は快楽を求める結果自己破壊にいたった人々のカタログである。
これを見ていると人間の創意工夫には果てがない、とほとほと呆(あき)れずにはいられない。
同時にここまでしないと快楽を得られない人間がいかに歪んでしまったのかも。
http://www.yomiuri.co.jp/book/column/pickup/20100315bk1f.htm?from=yoltop
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